立て続け

 つい先ほど帰宅いたしました。今日は早出勤やったんで月末誌でも買って帰っかなーと思っててんけど、ロッカールームで携帯を見て一気にズコーンと来ちまいました。・・・・・・人が逝く時ってどうしてこうも重なるもんなんでしょーね。

 その連絡が入った友人数人で集まって今まで飲んでおりました。そしてその場で彼らのひとりから出た言葉がある意味厳しい現実を見た気がした。「いずれ俺の番が来るかもしれないよな」って。彼はキャリアで発症はしてへんけど同じ病気で死ぬ可能性がある。そして彼のカレも同じように発症する事を覚悟してる。彼らの病気はいつ発症するかわからない。明日、1週間後、10年後かもしれない。うち自身もいつ彼らとの別れがやって来るのかわからない。今は昔と違って不治の病ではないし、発症する前に治療をすれば治る事はないけど死ぬことはなくなってきてる・・・・・・。でも正直言って怖い。病気が怖いのではなく別れる事が怖い。やから発症だけはしないでほしいと切に願ってしまう。

 今はキャリアの段階で治療を行えば発症や二次感染の予防が出来る。多剤服用で副作用もあるけどそれで彼らの命が守られるのなら治療をして欲しい。生きていてくれる、それだけでいいと思うのはエゴなのかもしれんけど・・・・・・。日本は他の先進諸国と比べてキャリアがどんどん増えてる。自分は大丈夫だと検査もしない人が多いから。そして発症して初めて自分がキャリアだった事に気づく。これを読んでる皆様、自分は大丈夫だと思っていても一度は検査をして欲しい。匿名で検査できるからほんまにして欲しい。感染源はどこに潜んでいるかわからない。たった一度の交わりでも感染する可能性もある。

 今回逝ってしまった友人の感染源はたった一度、絶望に陥った時に海外で肌を合わせた相手からやったらしい。なぜそれが原因かと言えば、日本を発つ前に検査をして陰性やったから。事故で男としての機能を失ってしまった彼はずっとずっとそういった行為をしてこなかった。女性に対しても、そしてもちろん男性に対しても。そんな彼が事故以来初めて肌を合わせた相手がキャリアやった。相手は自分がキャリアやと知ってたんやろうか。そうであって欲しくない。彼が発症した時、うちたちは信じられんかった。「エイズになりました」と一行だけ書いて送られて来たメールにうちたちは最初新手のジョークかと思った。ゲイの友人たちも自分たちならわかるけど彼はありえないだろうと信じなかった。けど海外にいる彼にみんなで動画メールを送って返って来たメールに添付されてた一枚の写真を見て信じるしかなかった。病院のベッドでチューブに繋がれてる彼の姿がそこにあったから。ただこの時はまだARC の段階ですぐに生死がどうのと言うことはなかったんやけど。

 それから彼の闘いが始まった。うちたちの行きつけの店のマスターにたまに送られてくるメールでその様子をうちたちも知ることが出来た。彼は様々な薬を投与し身体を襲う倦怠感や下痢、リンパの急激な腫れを繰り返しながらも闘ってた。ARC ならば100パーセントではないけどウィルスの攻撃を止めることが出来る。だからうちたちは信じてた。必ず彼が日本に帰ってくる、そう信じてた。でも。発症して約半年で彼の闘いは終わりを告げてしまった。薬は彼の中のウィルスに勝てなかった。現地の彼の友人がマスターへ送って来たメールには「Il ne jetait pas l'espoir de vivre au dernier.」と最後に書かれていた。「彼は最後まで生きる希望を捨てていませんでした」。そう書かれていた言葉。それとともに添付されていたガリガリに痩せてしまっていたけど微笑んでいるARC 時期の彼の写真を見てうちたちはお互いの手を握り合って泣いた。

 彼の遺骨は日本には帰ってこない。帰って来ても入る所がないから。彼の家族はいないから。だから現地の友人が彼を荼毘にふしてくれるそうだ。彼の最後を見送る事ができないのは寂しいけど、そこまでしてくれる友人が彼にいたことが嬉しかった。みんなで一生懸命日本語を翻訳しながらその友人に感謝のメールを送ったあと、遠い地で闘った彼を讃え偲ぶために語り合いながら飲んでいたら時間を忘れてしまってた。

 25日は彼とピーターを重ねてしまうかもしれない。お会いするお友達のみなさま、ちょっとした事で涙腺ゆるくなってるかもしれないけど気にしないでね(笑)。